『一例として私の経緯』
★なぜ私は【不安障害】になってしまったのか?
いまさらどうでもいいのですが、一度くらいは考察してみようと・・・
自分の気持ちの整理の為に・・・
①20歳のある夜、突然母から電話。話したいことがあると。
何日か後に地元に帰省。駅から自宅までの車の中で、見せられた一枚のレシートは
父が誰かと行った○○ホテルのものという事。
まあ~不倫ということですね。
ここで母が、
「お父さんと話して欲しいの。不倫はやめるようにと。」
「・・」(思いません?父の不倫を突然知った20歳娘は、まずショックだよね。)
「あなたから話してくれたらやめてくれるかも?」
(子はかすがい?なのか?)
「・・」(思いません?20歳ってまだ子供ですよ。荷が重い🤢し残酷じゃない?)
しかしながらその夜、ショックな気持ちもあって泣きながら父にやめて欲しいと頼みました。父は「わかったから、心配するなと」
父の言葉を信じて、たぶん大丈夫と思いとりあえず自分のアパートに帰ってきた。
②深夜、酔っぱらった母からの電話が何度かくる
「totcha姉ちゃん、母さんこれから自〇してもいい?」と。
あ~私にとってはただただ、恐怖恐怖恐怖🤢
実の母の言葉ですよ~20歳娘に。いくら酔っぱらっているとしても、そんなことを言うべきではありません。すぐに行ける距離ではないのですし、まだまだ母親は自分を守ってくれるだろうと思っている年齢です。なのに・・・
(そしてこのことは後に母に話しました。とても怖かったし、心配したことを。
母は謝ってくれました。)
③母の異変(電話)について父に意見すると
「実家に住んでいないお前がこの家の事について色々文句言うんじゃない!」
と怒鳴られて、電話ががちゃん!
「・・・・」🤢
④親戚から説得される
ある日、親戚から、
「近くにいるんだからたまには家においでよ!」
首都圏に出てきて始めてのお招きでした。21歳の時で今後の就職を考え始める頃。
「まあ、僕が言うのもなんだけど、(頼まれたから)totchaの実家のことだけどさ、
これ以上問題が大きくなると、
あなたもいずれ困ることになるでしょ?」と。
要するに卒業したら実家に帰ったらいいのではと言う事でした。
★20歳から卒業時までにはこのようなことやもろもろ他にもありましたが、その間の私の思いは、ショックと、恐怖と、戸惑いと、私自身の人生をなんだと思っているんだろうかという怒りと、まるで親の為に自分を捨てるように強要されている感覚でした。
④の親戚の言葉は、【脅し】にも聞こえました。だからますます怖かった🤢
いずれ困る事になるでしょう?って。私に不安を与えたかったの?
★その後、色々なことがあって、20年後、結果、母は自〇をしました。
私にとってはその母の自〇で、あの悪夢のような20歳の時の電話が現実となってしまい、私が助けるべきなのに助けることが出来なかった後悔と罪の意識が残りました。
その後うつ病を発症したという経緯です。
という、よくあるケースの家庭の問題ですが、ここから学びたいことは
✨CHILD RESEARCH NET の【不安障害】から
「全般性不安障害は、青斑核による脳部位全体の過敏状態、PTSDは海馬での感覚刺激と記憶の強い結びつきが需要な要因になっている。強迫性障害や限局性恐怖症はドーパミン系神経回路の亢進状態(異常に高まる)によって感作された状態と言った具合いです。」
★「幼少時の経験と不安障害」
「例えば幼少時に泣く。その時まわりの大人(両親)が助けてくれることを学習していきます。が、そうした大人がいないと恐怖心が最終的に安心感で終わるという体験が出来ないことになります。その結果、青斑核による覚醒状態が続いたり、あるいはドーパミン系の脳回路に感作が起こってしまうと考えられます。」
このことから、不安は単なる心の問題ではなくて脳内の物質が関係していることは明らかです。そして、この幼少期の体験は赤ちゃん時代だけに限らないそうです。
「大人になっても最終的に安心感によって完了する不安の経路が、未熟なまま終了することによって、私達の脳は不安を起こす要因に対して過敏になったり、過剰に反応してしまう事になるのです。」
✨ふと?『あら、もしかしたら、私の20歳頃の体験は今の私の不安障害の根本的原因かもしれない?』
最終的に安心感によって完了する不安が未熟なまま終了することで、不安を起こす要因に過敏になる・・・ふむふむ🤔
20歳時の、恐怖・心配・不安・怒りが最悪の結果で終わってしまったことで(=安心感を得ることが出来なかったことで)、すべての重荷が一気に心にのしかかった結果のうつ病発症だったのだろうと思います。
なので、なるべくしてなった、と思っています。
しょうがないよね~と。
まあ~生涯付き合っていきましょう・・😊
みどりは目にいいらしい